認知症臨床に携わる立場から
認知症に関わる臨床を続けるなかで、尊厳死や終末期医療のあり方について考える機会が多くあります。今回、大和書房から出版されている『In Love 認知症で安楽死を望む夫とスイスで最後の五日間』を拝読し、深い衝撃とともに多くの示唆を得ました。
本書は、アルツハイマー型認知症と診断された男性が、症状出現から診断、闘病、そしてスイスでの安楽死(PAS)に至るまでの経過を、妻がまとめた一冊です。
認知症とともに生きる日常の変化
アルツハイマー型認知症を発症することで、日常生活は大きく変わります。
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何を負担に感じるのか
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何ができて、何ができなくなるのか
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家族がどのように関わるようになるのか
本書を通じて、その過程をまるで追体験するように理解できました。患者本人だけでなく、支える家族にとっても、日常の変化は深い意味を持つのだと改めて実感しました。
尊厳死・安楽死をめぐる議論
日本では、癌患者を中心に「尊厳死」「安楽死」をめぐる議論が長い歴史を持ちます。
終末期医療においては、試行錯誤や社会的事件を経ながら、緩和ケアの質を維持・向上させる努力が続いてきました。脳死に関する法的議論、認知症終末期における胃ろう造設をめぐる延命措置の是非なども、未だに議論の対象です。
一方、海外ではPhysician Assisted Suicide(PAS)が合法化されている国もあり、認知症を理由に適応となる事例も出てきています。ADL障害が出ていない段階で安楽死が選択されていることには、大きな驚きを覚えました。
認知症が生む「絶望」と「選択」
認知症は「共生社会をつくる」というスローガンの一方で、当事者には大きな絶望をもたらす現実があります。臨床の現場でも、認知症を悲観して自死を選ぶ方がいるのは事実です。
本書を読むと、PASに至るまでの道のりが決して容易ではないことが伝わってきます。数々の手続き、長い話し合い、そして死の後に残される家族の整理の時間。その重みが、ページを通じて伝わってきました。
現場での実感と限界
認知症の終末期においては、身体的対応には限界があります。だからこそ、精神的に穏やかに過ごせるよう、ケアを工夫していくことが私たちの役割だと考えています。しかし同時に、「PASという選択肢がないからこそ、できる限りのことをしている」という側面も否定できません。
社会としてのこれから
私たちは、このまま現状を良しとするのか。あるいは、
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個人の尊厳
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医療費・社会保障費などの経済的視点
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家族や社会全体の支え方
といった複数の観点から、PASを部分的にでも認める方向に議論が進むのか。
本書を読むことで、海外の事例を「極端」と考えていた自分が、そうとも言えないのではないかと考えさせられました。認知症と安楽死という重いテーマを、私たち一人ひとりが避けずに向き合う必要があるのだと思います。
おわりに
『In Love』は、認知症をめぐる生と死のあり方を、私に強く問いかけてきました。
認知症共生社会を掲げる日本で、このテーマをどう受け止め、どう議論していくのか。安楽死を「認めるか認めないか」だけでなく、その背景にある苦悩や選択をどう支えるか――。
深く考えさせられる一冊でした。
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