2025年9月4日木曜日

講演サマリー:「眠りが支える脳の健康 ― 認知症と神経免疫の観点から ―」

 2025年9月2日、旭川で「眠りが支える脳の健康 ― 認知症と神経免疫の観点から ―」と題した講演を行いました。ここではその要点を簡潔に振り返ります。

睡眠と脳の健康

睡眠は単なる休養ではなく、脳の可塑性や老廃物の排出(グリンパティックシステム)を支える重要な営みです。特に深いノンレム睡眠やレム睡眠は、認知機能や記憶固定に密接に関わっており、短時間睡眠や質の低下は認知症発症リスクを高めることが示されています。

認知症と睡眠障害

アルツハイマー病やレビー小体型認知症では、多彩な睡眠異常が出現します。これらは単なる随伴症状ではなく、病態の進行や予兆と関連することが分かってきています。治療の一つとしてオレキシン受容体拮抗薬が注目され、ガイドラインにも記載されるようになりました。

神経免疫と炎症の役割

認知症発症の背景には、脳内外の慢性炎症が関与しています。

  • IL-6Rはある条件下で発症リスクを低下させる可能性があり、

  • MMP-9は血液脳関門の障害やグリンパティック機能低下を介し、神経変性の進行を促すことが示唆されました。

特にApoE4保有者では、炎症促進的な免疫調整不全や睡眠の質の低下が重なり、神経変性リスクが高まる悪循環に陥る可能性があります。

予防への展望

J-MINT prime Kanagawa研究やFitbit解析から、日々の活動量の増加が深い睡眠を改善し、認知症予防に寄与する可能性が見えてきました。Lancet委員会の最新報告でも、認知症の45%は予防可能とされています。今後は、炎症や睡眠障害を標的とした介入が重要になると考えられます。


📝 本講演では、**「睡眠 × 認知症 × 神経免疫」**の観点から、研究成果と臨床実践を交えながら議論しました。YUADとしても、引き続き睡眠の質向上と認知症予防の橋渡し研究を進めていきたいと思います。

2025年8月31日日曜日

「In Love 認知症で安楽死を望む夫とスイスで最後の五日間 」を読んで


認知症臨床に携わる立場から

認知症に関わる臨床を続けるなかで、尊厳死や終末期医療のあり方について考える機会が多くあります。今回、大和書房から出版されている『In Love 認知症で安楽死を望む夫とスイスで最後の五日間』を拝読し、深い衝撃とともに多くの示唆を得ました。

本書は、アルツハイマー型認知症と診断された男性が、症状出現から診断、闘病、そしてスイスでの安楽死(PAS)に至るまでの経過を、妻がまとめた一冊です。


認知症とともに生きる日常の変化

アルツハイマー型認知症を発症することで、日常生活は大きく変わります。

  • 何を負担に感じるのか

  • 何ができて、何ができなくなるのか

  • 家族がどのように関わるようになるのか

本書を通じて、その過程をまるで追体験するように理解できました。患者本人だけでなく、支える家族にとっても、日常の変化は深い意味を持つのだと改めて実感しました。


尊厳死・安楽死をめぐる議論

日本では、癌患者を中心に「尊厳死」「安楽死」をめぐる議論が長い歴史を持ちます。
終末期医療においては、試行錯誤や社会的事件を経ながら、緩和ケアの質を維持・向上させる努力が続いてきました。脳死に関する法的議論、認知症終末期における胃ろう造設をめぐる延命措置の是非なども、未だに議論の対象です。

一方、海外ではPhysician Assisted Suicide(PAS)が合法化されている国もあり、認知症を理由に適応となる事例も出てきています。ADL障害が出ていない段階で安楽死が選択されていることには、大きな驚きを覚えました。


認知症が生む「絶望」と「選択」

認知症は「共生社会をつくる」というスローガンの一方で、当事者には大きな絶望をもたらす現実があります。臨床の現場でも、認知症を悲観して自死を選ぶ方がいるのは事実です。

本書を読むと、PASに至るまでの道のりが決して容易ではないことが伝わってきます。数々の手続き、長い話し合い、そして死の後に残される家族の整理の時間。その重みが、ページを通じて伝わってきました。


現場での実感と限界

認知症の終末期においては、身体的対応には限界があります。だからこそ、精神的に穏やかに過ごせるよう、ケアを工夫していくことが私たちの役割だと考えています。しかし同時に、「PASという選択肢がないからこそ、できる限りのことをしている」という側面も否定できません。


社会としてのこれから

私たちは、このまま現状を良しとするのか。あるいは、

  • 個人の尊厳

  • 医療費・社会保障費などの経済的視点

  • 家族や社会全体の支え方

といった複数の観点から、PASを部分的にでも認める方向に議論が進むのか。

本書を読むことで、海外の事例を「極端」と考えていた自分が、そうとも言えないのではないかと考えさせられました。認知症と安楽死という重いテーマを、私たち一人ひとりが避けずに向き合う必要があるのだと思います。


おわりに

『In Love』は、認知症をめぐる生と死のあり方を、私に強く問いかけてきました。
認知症共生社会を掲げる日本で、このテーマをどう受け止め、どう議論していくのか。安楽死を「認めるか認めないか」だけでなく、その背景にある苦悩や選択をどう支えるか――。

深く考えさせられる一冊でした。

2025年7月31日木曜日

神奈川精神科薬物療法専門薬剤師セミナーで、「抗アミロイドβ抗体製剤療法の登場による、MCI・認知症についての考え方の変化」

2025年、神奈川県薬剤師会の講習会にて、「抗Aβ抗体製剤療法の登場によるMCI・認知症診療の考え方の変化」をテーマに講演を担当しました。ここではその概要をお伝えします。


🔷 1. 認知症と社会の動向

  • 認知症基本法(2024年施行)に象徴されるように、認知症は医療だけでなく社会全体で取り組むべき課題に。

  • 介護と仕事の両立支援が全ての企業に求められる時代に入り、薬剤師にも広い視野が必要となっています。


🔷 2. アルツハイマー病の最新知見

  • 発症の何十年も前からアミロイドβが蓄積し、側頭葉(特に海馬)から前頭葉にかけて進行。

  • 脳萎縮と認知機能障害がゆっくりと進み、記憶障害や見当識障害、遂行機能障害が目立つようになります。


🔷 3. 治療戦略の転換:疾患修飾薬の登場

✅ 抗Aβ抗体薬(レカネマブ)の特徴

  • アミロイドβのプロトフィブリルに対するモノクローナル抗体。

  • CDR-SBの悪化を7.5か月遅らせる効果、MMSE低下の抑制などが臨床試験で示されました。

  • 一方で、ARIA(アミロイド関連画像異常)などの副作用にも注意が必要で、適正使用が前提です。

✅ 薬剤師の関わり方

  • 適正使用のためには、副作用の早期発見と患者教育がカギ。

  • 治療を受けない場合の進行スピードや中断時のリスクも含めた説明が求められています。


🔷 4. 予防の重要性と多面的介入

  • 認知症の40〜45%は予防可能とされ、睡眠・運動・栄養・対人交流の総合介入(例:J-MINT研究)が注目されています。

  • 中でも薬剤師が果たせる役割は、生活習慣病の管理支援と薬物指導、地域連携の橋渡しです。


🔷 5. 現場からの提言:精神科病院における新たな取り組み

  • 認知症疾患医療センターでは、抗体薬の相談・紹介先としての役割が拡大。

  • 当院(横浜舞岡病院)では、図書室を処置室に改築するなど体制を強化中。

  • 今後は、「抗アミロイドβ抗体薬フォローアップ施設」としての地域連携が求められるでしょう。

2025年7月24日木曜日

【講義報告】終末期を見据えた認知症ケアとは ~本人・家族・専門職でつくる「人生の最終段階」~

 2025年6月28日、静岡社会健康医学大学院大学にて、「終末期を踏まえた、認知症のみかた、考え方」と題した講義を担当しました。人生100年時代において、避けては通れないテーマである「認知症の終末期ケア」。今回はそのポイントを抜粋してお届けします。


■ 認知症ケアは「統合 vs 絶望」の課題である

老年期の心理的課題を「統合 vs 絶望」としたエリクソンの理論を踏まえると、認知症ケアにおいても、“失っていくこと”だけに注目するのではなく、“その人らしさ”をどのように支えていくかが問われます。


■ 認知症の進行と「終末期」のリアル

認知症は、記憶障害だけでなく、次第に言葉・行動・身体機能にまで影響を及ぼします。終末期では、以下のような状態がみられます。

食事摂取量の低下や嚥下障害

発熱・肺炎などの合併症

全介助の状態

家族の識別が困難になる

この段階では、「延命」よりも「快適なケア」が重視されるべきタイミングとなります。


■ ケアの選択:「本人の意思」をどう捉えるか?

認知症が進行すると、ご本人の意思確認が難しくなります。その際には、事前に意向を共有する「Advance Care Planning(ACP)」が重要となります。


延命処置を希望するかどうか

胃ろうや点滴をどうするか

在宅か施設か

看取りの場所や方法の希望 など

医療者・介護者・家族の合意形成が鍵を握ります。


■ 看取りに向けた「クリニカルパス」の導入

私たちがかつて取り組んだ「認知症終末期のクリニカルパス」は、医師・看護師・リハビリ職・ソーシャルワーカー・家族が連携し、QOL(生活の質)を支える体制をつくるための実践ツールです。


食事、呼吸、疼痛、不穏などの評価

家族の理解度、受容度の確認

看取りまでの準備と説明

死後のケアと喪の作業への配慮

このような包括的な視点が、「良い看取り」に繋がっていきます。


■ 科学的な指標と家族満足度の評価

Volicer氏らが開発した「EOLD(End-of-Life in Dementia)スケール」をはじめ、認知症終末期ケアの質を評価するための尺度が国際的に活用されています。


【SWC-EOLD】:ケアの満足度

【SM-EOLD】:症状管理

【CAD-EOLD】:快適さ

特に「CAD-EOLD」は、家族が「穏やかに旅立てた」と感じるかどうかと高い相関があり、医療・介護者にとって大切なフィードバックとなります。


■ 終末期だけでなく「その前から」始めるケア

人生の終末期を支えるためには、「その前の段階」からの関わりが不可欠です。

生活習慣病予防や運動・睡眠などの早期介入(J-MINT研究)

歩行機能の解析(Moff band®)によるADL低下の予測

孤独の予防や社会参加の支援

認知症は“その日突然起こるもの”ではなく、“ある日から始まっている”ことを忘れず、持続的な支援が求められます。


おわりに:ともに考え、ともに支える社会へ

認知症の終末期ケアには、医療的判断だけでなく、倫理・家族関係・生活史への理解が欠かせません。誰もが関わる可能性のあるこの課題に、私たちはどう向き合っていくのか。

今後も、現場の知見と科学的根拠を融合しながら、本人・家族・地域社会にとって「納得のいく看取り」を支えていきたいと考えています。

2025年7月17日木曜日

「社会課題としての認知症への多面的な取り組み」 講演会概要

 【特集】認知症を社会で支える:多面的な取り組みの現在地

日本では、高齢化の進行に伴い、認知症と共に生きる人の数が増えています。今や認知症は、医療だけでなく、介護、教育、企業活動、そして社会全体で考えるべき「共生と予防のテーマ」です。


■ 予防できる認知症、支え合う認知症

近年の国際的な研究では、認知症の約45%が予防可能であると示唆されています(Lancet 2024)。教育や運動、社会的交流、睡眠、生活習慣病の管理などが重要とされており、「早すぎる予防はない」ことが明らかになっています。

また、医療では薬物療法(アセチルコリンエステラーゼ阻害薬やメマンチン)に加え、抗アミロイド抗体による新しい治療法の登場も注目を集めています。


■ 地域で支える認知症ケア:横浜舞岡病院の実践

横浜舞岡病院は、横浜市で最初に認定された認知症疾患医療センターのひとつとして、医療・福祉・地域連携のハブとして活動を展開しています。

認知症サポート医講習会

地域への普及啓発(講師派遣・市民講座)

若年性認知症カフェの運営

認知症緩和ケア評価スケール(EOLD-J)の研究と活用

歩行解析(Moffバンド®使用)による移動能力低下の早期発見

抗アミロイド抗体薬に対応したフォローアップ施設の整備


■ 人生会議とエンドオブライフ・ケア

認知症は進行性の疾患であるため、本人の意思が伝えられるうちに治療やケアの選択を話し合っておく「人生会議(ACP)」が重視されています。


■ 企業と連携した予防研究:J-MINT PRIME Kanagawa

国の大型研究「J-MINT」プロジェクトの一環として、横浜市の若葉台団地では、住民を対象にした認知症予防の実証実験が進行中です。Fitbitを用いた睡眠と運動量の解析が行われています。


■ 認知症と共に生きる社会のために

認知症への取り組みは、医療や介護だけでなく、予防・教育・研究・産業・地域社会まで多岐にわたります。


認知症が「特別なこと」ではなく、誰もが関わる「ふつうのこと」として支え合える社会づくりに向けて、今後も多角的な取り組みが求められます。

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